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日記509

note.muに投稿したやつの転載です。

チャーハン大賞という企画に応募しました。

3月26日いっぱいが締切。ギリギリ!

 

 

 

***

 

 

 

3月24日(土)

 

 

 

味の素冷凍食品の「ザ★チャーハン」を購入しました。

 

わたしの家はさいきん、庭から炒飯が次々とあふれ出す、地下のいわば炒飯脈を発見したので、わざわざ新しい炒飯を購入する必要はなかったのだけれど、自宅の炒飯脈から湧き出る炒飯の味にもそろそろ飽きたかなーと思った矢先、リニューアルされたという「ザ★チャーハン」の情報を聞きつけ、これがむしょうに食べたくなって購入しちゃったのでした。

 

うちにはつねに2トンくらいの炒飯が保存されているし、いまこうしているあいだにも庭からとめどなく炒飯は湧き出し、採取されています。それでも、いやそれがゆえに「ザ★チャーハン」のリニューアルされた味を知らないわけにはいかないのです。この国の地層に埋蔵されている、炒飯脈を掘り当てたライバル同士ですから。研究の一環として、リスペクトも込めて買いますとも。なにより、おいしそうだからね。

 

午前中に買いに行ったのですが、うちの近所のスーパーでは、さいごのひとつでした。味の素冷凍食品の地下炒飯資源が枯渇し始めているのでしょうか。単に売れているだけでしょうか。わたしがさいごの「ザ★チャーハン」をとってしまってもよかったのでしょうか。うちは炒飯脈につながる庭をもつ、産炒飯地なので、わたしよりも炒飯に飢えているひとは、いくらでもいたはずです。なんか申し訳ない。ほかのひとのぶんまで噛み締めて、たいせつにいただこうと思います。

 

さて、家に帰って午前11時過ぎ。「ザ★チャーハン」は600g、二人前。庭にいる祖母をちらっと見遣る。ふたり、いつもの昼食。

さっそく調理を始めます。

 

 

 

 

材料。余っていた小松菜といっしょに炒めます。何者にもなれなかった小松菜たち。だいじょうぶ。まだきみたちの可能性は潰えていない。あきらめてはならない。もうすぐ、「ザ★チャーハン」がなんとかしてくれる。

 

わたしの人生も、いまのところ何者にもなれない、箸にも棒にもかからないものだから、このままいくと、いずれ「ザ★チャーハン」といっしょに炒められる運命なのやもしれない。うれしい。やった、炒飯になれる。正式な肩書きをもらえる。正社員じゃん。焦がしにんにくのマー油と葱油で香ばしくなる。人生よ、おいしくなあれ。希望がわくね。

 

 

 

 

愛用のフライパンで予告ホームランごっこです。

 

一抹のむなしさは否めません。

 

 

 

 

「ザ★チャーハン」を開けました。あけましておめでとう。炒飯の山です。これで600gぜんぶ。予想よりどっさりしていて、思わず「わーすごいけっこうあるー」とつぶやいてしまいました。感動です。こういうものが真のツイートなのです。ツイッターには、こうした日常の微細な感動を告げるような、心の底からどうでもいいつぶやきがあふれてほしいと願う。

 

 

 

 

山の頂が顔を覗かせます。

 

なんと美しい自然の稜線でしょう。わたしはいっさい手を加えておりません。袋から出しただけです。ちょうど太陽と「ザ★チャーハン」のてっぺんを重ねてダイヤモンド富士みたいな写真を狙いたくなる欲に、ぎりぎりで駆られないくらいの美しさです。もうひと押しで駆られそうになるところでした。あぶないあぶない。

 

袋から出したとき飛んだお米を、2粒くらい食べましたが、なんと凍っていました。冷たい。やはり標高が上がると、気温が下がるのですね。「ザ★チャーハン」が凍っているのはそういうわけか〜。山を形成するだけのことはあります。

 

 

 

 

いちどは希望を捨て去り、やさぐれていた小松菜たち。「ザ★チャーハン」の美しい山肌にやさしく抱かれ、よろこんでいるようすがわかります。めでたしめでたし。いや、ここで終わりではありません。これからなのです。油断してはいけない。いまきみは門出に立ってるんだ。遙かなる道をゆくんだ。

 

さあ、炒めよう。

 

 

 

 

はい、炒めました。一瞬です。小松菜の進路もぶじ決まり、立派な炒飯に。指をパチンと弾いたら完成。まるで魔法のようです。すこしだけ焦がしました。恋い焦がれちゃったの。でもそこがおいしいんです。人生とおなじです。

 

電子レンジで調理したほうが、より風味や香ばしさを楽しめると味の素冷凍食品の公式サイトには書いてありました。

 

しかし炒めてもじゅうぶん、いい香りは立ち込めます。炒まってゆくサウンドも心地よい。じゅんじゅわー。このグルーヴをつかまえて。耳が炒飯に包まれる。目を閉じ、感じるのです。わたしはいま、炒飯の中にいる……と。ふしぎな声が響いてくる。炒飯と和解せよ……炒飯と和解せよ……。

 

すなわち、聴覚でもおいしい。炒飯は五感をフルに活用してつくる料理なのです。もちろんレンジでチンでも、どちらも、よいと思います。「ザ★チャーハン」に貴賤なし!どう転んでも、うまい。レンチンのあいだを、ダンスタイムにすると、より香ばしさや人生を楽しめるのでおすすめです。

 

 

 

 

炒飯と言えば、これです。このパカってするやつ。「パカってするやつ」がたぶん正式名称です。みんな「パカってするやつ」と呼んでいるはず。

 

 

 

 

パカってしたやつ。

 

見事なパカです。パカにするな!と怒られそうなくらい。ごめん、たしかにパカってしたけど、そこまでパカにするつもりはなかったんだ。こんなに見事にパカになるとは思わなかったから、ほんとでも、そんなつもりはなくて、だけど結果的にはそうなっちゃったんだね……。わかった、もう弁解の余地はないよ。見苦しい言い訳はしない。わたしは、この十字架を、いっしょう背負って生きる。あなたをパカにしてしまった、罪人として。

 

 

 

 

立ちのぼる湯気。おいしそうです。

 

香ばしさの広がる室内。

 

 

 

 

ふた皿もパカにしてしまいました。

 

「いいにおいがするね」と言いながら祖母がひょっこりやってきます。特筆することもない、昼食の風景。おばあちゃんとふたり。

 

 

 

 

朝にむいたりんご。お茶。リモコン。

 

パカってして形をつくったけれど、いきなり箸をぶっさして崩しまくる祖母。いいんだけどね。形にこだわっていたら食えない。パカの命はみじかい。乙女とおなじです。パカは仮初め。儚い運命。

 

「こんなにいらないわ」と言って、わたしのほうにすこし移す。少食。祖母は炒飯も箸で食べるスタイル。わたしはスプーンを取りに行く。

 

いただきます。

 

 

 

 

「すごくおいしい、野菜が入ってていいね」と言ってくれました。小松菜たちも浮かばれます。これで成仏できました。

 

そしてテレビの中で「おいしい!」を連呼する芸能人たちを一瞥し、「不味いって言ったことないじゃない」と軽く毒づく祖母。

 

写真をネットに上げる許可をもらう。「なんでもいいわよ、もう」と、半ばやけっぱちな返事をもらう。そうやけにならずに。

 

 

 

 

わたしも食べる。

 

うーん、おいしい。具の焼豚うまいなー。気分はもう「ザ★チャーハン」のCMに出演している小栗旬です。

 

余談ながら、小栗旬さんの名前と顔が一致したのはここ数ヶ月です。それまでは「なんかよく見るけど名前がわからないひと」でした。「小栗旬」という単語は知っていましたが、顔と紐付けず文字が宙空をさまよっておりました。わたしにとっての「小栗旬」は、炒飯になる前の小松菜のように何者でもなかった。

 

すこし不安がよぎったので、いま検索して確認しました。なるほど、このひとが小栗旬か〜。たしかに小栗旬です。全身、小栗旬。一目瞭然。だれでもわかる!身分証明書いらずです。

 

 

 

 

食べ終わり。

 

食器は祖母が洗ってくれると言います。まかせる。やってもらっちゃって、いいのかな、という気持ちはいつだってあるけれど、家事も独占してはいけない。ひとの意欲を挫いてもいけない。わたしはいずれこの家を出る、居候のような身。

 

さしたることのないただの昼食。いつもなら振り返ることもない繰り返しのひとつ。しかし二度と戻らない、ひとつの時間。

 

どこにも、いつまでもいられはしない。そりゃあ夕陽だっていつか色褪せる。流れるものは止められないが、それを知りつつ止めようといつも必死でいる。消えるものを。いなくなるものを。ねえ、どうしたら君といつまでもいられる?掴めない、夢じゃないはず。ここにあるまぎれもない時間。行かないで。わたしは、まだ。なんもねえ、ガキだ。

 

あまりにも無力で、ときおりかなしくなる。しあわせだなあ、なんて滑稽だな。だけど照れてないよぜんぜん。しあわせなんだ。

 

そんな去りゆく風景の時間を、人々は歴史のうえに濃縮し、形に拵え、残してきた。あらゆる表現方法を駆使して。それはときに、ことばであったり、絵であったり、音楽であったり、写真であったり、映像であったり。ひとによってさまざま相違はある。文化や時代によっても。

 

この日の炒飯はもう、なくなったけれど、こんな日もあったというわたしの記憶は、これで消えないから、うれしいね。

 

 

「ザ★チャーハン」、ごちそうさまでした。

 

 

ありがとう。

 

 

 

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