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日記7

生きることの底のなさ、明日をも知れぬ不透明さに嫌気が差して、なにか「確かさ」みたいなものに逢着するには、神さまを信じるしかないんじゃないかって思っていて、神さま以外なにも信じられないくらい確かな神さまを信じたくて、感じたくて、狂ったように、だから神さま、わたしの理由になってください。

 

小田急線に乗って「見えない海のかおりが、もうかすかに混じるのを感じさせるところに来るとほっとする」と中井久夫は記しており、この嗅覚のするどさにびっくりしてしまう。おっさんの体臭やおばはんの香水には敏感なのだけれど、小田急線で「見えない海のかおり」を感じるひとはどのくらいいるのだろうか。

そんな疑問はともかく「見えない海のかおり」ということばの魅力に惹かれる。こどもが生まれたら、こういうなまえにしたい。いつか女の子ができたら、「見えない海のかおり」ってなまえにしよう。

 

電車で移動する。とらえどころなく移ろう風景や感覚。わたしは、移動中が好きだ。目的地についたら、移動が終わるから、目的地は嫌いだ。どんな場所でも。果てしなく移ろっていたい。それか、家でじっとしていたい。

 

きょうあったことは、記録してはいけない記憶のような気がして、とくに書かない。

十年来の仲のいいともだちとの最初のコンタクトみたいな、「あれ?こいつとどうやって仲よくなったんだっけ?」っていう入り口のわからない最良の出会い。そんな出会いが、きょうはあったような気がして、これはきっと、記録してはいけない記憶。ほんとは「記録してはいけない記憶」って言いたかっただけで、そんな出会いはないよ。

 

きょうは、はだざむかった。祖母は、さむいわ、さむいのがいちばんイヤね、と言っていた。夏には、あついのがいちばんイヤね、と言う。そういう生き方、環境や、置かれた状況によってカメレオンのように色を変える話法にあこがれる。