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日記6

きょうは図書館へ行きました。あとなんか、うだうだしていましたね。それだけ。

 

敬老の日だからというので、もう過ぎたけど、わたしの姉から、そしてそのお子、5歳男児、わたしから見ると甥から、うちの祖母へ宛ててハガキがきました。アーティスティックなとんぼの絵とともに「元気で長生きしてね」みたいな(大意)メッセージ。

 

この「長生きしてね」とか、「いつまでも生きてね」とかいう、無邪気なメッセージ。違和感が拭えません。「不老不死でいてね」ぐらい突き抜ければ冗談のひとつにもなるのですが、ひとはいずれ死にます。それが現実です。うちの祖母はもう80過ぎてことし大病を患って、きっと余命いくばくもない。そんなひとに「長生きして」とか、変だと思います。なんか違うと思います。

 

じゃあ、なんて言えばいいのか。悩ましいです。死に向かうひとにかけることばなど、わからない。それはわかります。わかりますが、「長生きして」などという楽観も、あきらかにおかしいだろう。それくらいわかってほしい。

 

大江健三郎の息子、大江光は、祖母に向かって「元気を出して、しっかり死んでください!」と言ったそうです。そのあと、「生きてください!」と言い直したそうですが、「元気を出して、しっかり死んでください!」って、いいことばだとわたしは思います。

 

もう、死ぬことはわかっているんです。長くないんです。そんな祖母といっしょに暮らしている身としては、遠くからたまにハガキをよこして、なんの工夫もなく思考を巡らせた形跡もなく、ただ「長生きして」なんてふざけんじゃねえよとしか思えません。

 

みんなで、祖母本人も含めて、必死で、まさしく必死の気持ちで、死を受けとめようとしているときにですよ、「長生きしてね」なんて、そんなこと言われても、わたしとしては怒りしか湧きません。祖母も複雑な面持ちでした。

 

「元気を出して、しっかり死んでください!」

 

これくらい、言ってほしいものです。生きることだけが人生ではないのです。姉にはもちろんですが、5歳児にも考えてもらいたかった。ひとが生きて死ぬことについて話をしてあげる、いいきっかけではないですか。

 

死を肯定したい。老いて死ぬことに不条理はないのだから。あなたは立派に老いた。ことの条理、世のことわりとして、元気じゃなくてもいい、しっかり死んでください。祖母には、そう伝えたい。

 

ひとが死ぬことに条理も不条理もないかもしれない。あいまいに生きて、あいまいに死ぬ。それが人間だと思う。死ぬこと。ここにはいなくなること。考えるほどにわからなくなる。

寝よう。おやすみ。にんにん。