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日記3

きょうはほんとになんもしてなかったな。ああ、なんもしてない。数日前、ある知人にメールを送ったが、いっこうにかえってこない。そのことがなんとなーく頭の片隅にじっとしておって、あきらめや、ちょっとした怒り、かなしみ、種々のネガティブな塊がじっとしておる。無言には対処のしようがない。いそがしいのかな、とか勝手に思って納得させる。

 

わたしは、わりとマメなタイプなので、メールや着信は気がついた時にがんがん返す。無視なんて、したことないかな。相手に悪感情をいだいているなら、そのことを言う。できうる限り角を丸くして言う。ことばを投げられても、「無視をする」ということは、わたしの場合、よほどのことがない限りしない。でも、世の中のひとは、かなり簡単に「無視」という手段をとる。というか、単にわたしが、よく無視されるだけかもしれない。

 

「合わせる」ということを考える。「こいつとは合わないから」といって切っていったらわたしの場合、だれとも合わない。親兄弟とも合わないし、どこにも適応できない。そもそも地球環境にすら合っていない気もする。息苦しい。火星で暮らすか。

だから、「合わないから」で簡単になにもかも切断してしまったら、もう死ぬしかない。そう思うから、「合わないなー」と感じても、合わせる努力をするようにしている。「合わない」、なんてことは大前提なのだ。合わせるのだ。

 

そのためにあるものがコミュニケーションだと思う。ことばは、掘り進めていくと究極的には「合わない」、すれ違いつづけるしかない代物かもしれない。「合わせるのだ」と書いたが、合わせなくてもいい。すれ違うなら、すれ違いつづけよう。すれ違うことに価値がある。あなたとは違うわたしを見て欲しい。わたしとは違うあなたも見たいから。もっとすれ違いたいよ、きみと。

 

「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも、『ありがとう』ということのできるシステム」だ、と『ぼくらの民主主義なんだぜ』にはあった。わたしの意見はあなたには通じないかもしれない。でもきいて欲しい。通じなくていいから。「きいてくれてありがとう」って言いたいんだよ。

 

世の中がどんどん非わたし向けにチューンナップされてゆく。