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日記2

「信じられないくらい意志のあるひとが見たい」と、たぶん本谷有希子が言っていて、意志のあるひとって、たしかに魅力的だなあ、なんて思った。意志、ないよね。薄弱だなあ、わたしは。このブログもいつまで続くか。

 

意志のある文章が書きたい。けど、意志、ないよね。

 

意志のあるひとは主人公だ。わたしは脇役でいい。「あなたの人生は、あなたが主人公なんだぜ!」みたいな、そんなのは、ある部分そうなのかもしれない。だけど、主人公なんてさ、荷が重いじゃない。いいよ。降りるよ。森の枝葉みたいな役でいいよ。風が吹けば折れて枯れていくんだ。腐葉土でいいよ。ドブ川で這いつくばりながらボウフラをうらやむまいにちでいいよ。

だいじょぶだよ。なんにもしなくたって。

 

高橋源一郎、『ぼくらの民主主義なんだぜ』を読み終えた。朝日新聞という媒体はうさんくさい。高橋源一郎もなんとなくうさんくさい。でもきらいではない。『ぼくらの民主主義なんだぜ』の高橋さんはやわらかくてお上品だ。読んでいて、目に、耳に心地いいなあ、という気はする。それだけで、あまり刺激はないかな。でも信頼できる。こんなところが。

 人は間違える(おれもしょっちゅう間違える)。組織や会社も間違える。国もまた間違える。それがすべての出発点であるように、おれは思う。それがどのような「正義」であれ、「おれは間違っていない」というやつは疑った方がいい。「愛国者」であると自称する連中は「国の正しさ」に敏感だ(だから、「正しくない」といわれると攻撃する)。だが、正しくなければ愛せないのだろうか。p.217

ただしくても、どんなにまちがっていても、愛する。むしろ、人間のまちがいをこそ愛せなくて、どうする。と、わたしは思う。「信頼できる」と書いたけど、これは半信半疑の信頼である。だって、高橋さんは「しょっちゅう間違える」から。この本も半笑いで読む。わたしはだいたいそういう読書の仕方をする。そういう、ことばとの触れ合いかたをする。

 

ほんとうは、あんまり信じていないのかもしれない。なにも。でもせつじつに感じることばには、なんとなく感じ入るところもある。

 

人間ってクズばっかりやなあ、と近頃おもう。わたしはバカ正直に過ぎる。こんなことを書くと、「自分は正しい」と言い募っているみたいで、わたしもクズやなあとおもうけど、ある視点からみればわたしはまちがいで、ある視点からみればただしい。こんなことをわざわざ書くのはアホの極致だ。やめよう。

 

「意志のあるひと」というのは、どんなひとだろう。意志とはなんだろう。

 

『ぼくらの民主主義なんだぜ』で引用されている、高野悦子の「どんなによくできた映画でも、戦争を賛美するものや、暴力的なものには心が動かない」ということばには、意志があると思う。だけど、これはこれはお上品が過ぎるとわたしは思った。

 

わたしは暴力的な映画が大好きだし、フィクションの範囲でなら、戦争を賛美するようなものがあってもいいと思う。暴力も戦争もフィクションの中でなら肯定できる。ということは、現実でも、ある意味、状況によっては肯定できてしまうのかもしれない。人間の思考はわからない。そういったこと、あらゆるまちがった可能性に思いを馳せるためにフィクションはあるんじゃないか。

 

きょうは高橋源一郎の、『デビュー作を書くための超「小説」教室』というゲンナリするようなタイトルの本も読んでいた。わたしは、いちど本が読めなくなって、なんにもできなくなった期間が長くあったため、簡単な本をリハビリ的に読んでいる。中身もわりとゲンナリするのだが、好きだと思うところもある。

 だって、わたしが受けとらなくても完成している作品なんて、つまらないでしょう?

 わたしがいなくては完成しない作品に、読むことを、うながされます。

 この読み方こそ、新人文学賞の選考にだけあたえられた醍醐味です。p.80

と、高橋さんは書いていて、これはべつに「新人文学賞の選考にだけあたえられた醍醐味」ってこともないのではないか、と思う。わたしが受けとってこそ完成する作品、世界はそういう作品なんじゃないかな。「世界は」なんて大それたことを言ってみると、気持ちがいいね。

 わからない作品に出会うと、わたしはちょっと、ほっとします。ああ、よかった。まだ、まだ、知らないものが、たくさんあるのだ、と。このあとも、まだ、まだ、きっと、小説に何かが起こりつづけるのだ、と。

 だって、知らない世界の方が、たのしいでしょう?p.97

同じ「だって〜でしょう?」っていう問いかけ。そうだね、と素直に思える。

あと、この本で気に入ったのは、「恥ずかしさ」が鍵になる、というところ。それと、いい小説は、すこし過剰、いいすぎるというところ。

こんなタイトルの本を読むのは、恥ずかしい。小説なんて書く気もないし、書ける素養も素地もまったくないのに。

だるい。あとは、きょう山形浩生さんの反知性主義に関する複数のブログエントリーを読んだ。痛快。快便。ンギモヂイイ!それだけ。