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日記

ああ、あああ、あっ、あー。マイクテスト、ワン・ツー。淀みなくしゃべるように書きたい。その日だけ使える思考を。と昨日は書いた。その日に感じたこと、ふれたもの、すべてを詳細になるべく細大漏らさず書き記したいような願望があるけれど。ぜんぶ忘れてしまうよね。ぼくたちは、なんだかすべて忘れてしまうね。わたしはおびえているように思う。昨日は、おびえていたなあ。きょうもやっぱりおびえている。

 

なににおびえているのか。やっぱり、人間かなあ。たくさんいてこわい。あるいは、ことばかなあ。自分かなあ。ひとの声。生活。将来。虫とかもたくさんいてこわい。

「だれかになにか伝えなきゃ」って思ってるけど、だれになにを伝えるべきか、よくわからない。いま自分がいる場所に、自分は居ていいのか、何年も同じ所にいるけれど、寄る辺ない感覚が抜けない。

 

メモをとろうかな、思ったことを、すぐ書く。なんでも書く。でもめんどくさいなあ。

 

高橋源一郎の『ぼくらの民主主義なんだぜ』という新書と、最果タヒのブログを読んでいた。

わたしは読むのが病的におそいので、まだあまり読めてはいないけれど、途中でもいいからなにか感想めいたことを書こうかな。「まいにち書く」ということは、途中途中を記すことだと思う。完結し得ないものを記す。

 

きのうときょうはつながっているのか、断絶しているのか。

とぎれとぎれに、やわらかく、ある部分でつながったり、離れたりしているのかな。

 

昨日も死んだのに
今日も死ぬ
眠る前はそうやって
あきらめる

 

最果タヒ『子牛と朝を』という詩に、触れた。

そして、あをの過程というかたの批評文も読んだ。すごい。わたしは詩なんか読んでも、わからないことが多い。あるいは、「いいなー」と思うくらい。「わたしの死を、きみが悲しむ必要はないよ」というこの詩にあるフレーズには惹かれた。

 

死と生、眠りと覚醒。

夢と覚醒時とは、ちょうど固体と液体のように、同じ構成要素間の結合関係によって異なっている。とポール・ヴァレリーは言う。死の構成要素は、生と同じだろうか。

 

「世界すべてとタイマンで話しているような気がしている」、最果さんはブログに書いていた。こんなすばらしいフレーズがぽーんと出てくるひとは、やっぱりタイマン張ってるんだよなーと思う。

 

『ぼくらの民主主義なんだぜ』も、けっこうタイマン張ってるのではないか、と思う。

朝日新聞に掲載された論壇時評なのだけれど、読んでいると、ときに、ばかみたいだと思ったり、意外と泣けてきたり、またばかみたいだと思ったりする。「社会的メッセージを出すって客観的に見ると滑稽だよね(p.30)」そういうことに、高橋さんは自覚的なのかもしれない。まだぜんぶ読んでいないけれど、ぺらっぺらで、やわらかい本だ。

 

「柔らかくっても大丈夫」という章では、スタジオジブリの小冊子、『熱風』の表紙を評して「柔らかさ」がある、と高橋さんは書いていた。その「柔らかさ」の秘密について、高橋さんはこんなことを書く。

そして、なにかを伝えようとするなら、ただ、いいたいことをいうだけでは、ダメなんだ。それを伝えたい相手に、そのことを徹底して考えてもらえる空間をもとどけなければならない。それが「柔らかさ」の秘密なのである。p.30

そんな、やわらかい声がこの本にも響いている気がする。

高橋さんはなにも気張らずに、(ご自身にとって)ふつうにふつうのことを書いているだけだ。

国家と国民は同じ声を持つ必要はないし、そんな義務もない。誰でも「国民」である前に「人間」なのだ。そして「人間」はみんな違う考えを持っている。同じ考えを持つものしか「国民」になれない国は「ロボットの国」(ロボットに失礼だが)だけだ――というのが、ぼくにとっての「ふつう」の感覚だ。p.89

こんなことばに泣けてきてしまう。

なんだっけか忘れたけど、あるロシア映画で、昼間からなにもせず酒をあおっている親父が、「仕事をしろ!」と咎められて言い返すセリフがある。

 

「おれは人間だぞ!」

 

このセリフにいたく感動してここだけ覚えているのだけれど、そうなのだ、人間なのだ。人間なんだよ。

あるいは安倍晋三の街頭演説を待つ万余の群衆の前に現れ、罵声を浴びながらもたった一人で踊り続けるマック赤坂の姿を見ながら高橋さんは気づく。

あそこで「ゴミ!」と群衆から罵倒されているのは、ぼくたち自身ではなかったろうか。p.140

そこにいるのはマック赤坂であり、わたしたちでもあった。もっと言えば、ひとりの、人間の、懸命な姿であった。ひとはみな泡沫。うたかたの日々を生きている。そんなことは高橋さんは書いていないけど。人間ったら、かなしいね。

 

きのうはこのあたりまで読んでおびえながら眠りについた。そして起きておびえていた。

 

さいきん「よし、寝よう!」と思って眠りにつくことがない。なんとなくなにかをしながら寝てしまう。ちゃんと寝たいな、と思う。