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日記508

 

 

意外と近寄っても逃げないカラス。

 

カラスは歩き方が上品だと思う。もしかしたら個体差があるのかもしれない。少なくとも、このカラスの歩き方は観察していて上品だと思った。きっちり足を上げて静かに一歩一歩。上品というより、慎重な感じも受けました。ひとつひとつ何かを探るようにアスファルトを踏みしめていた。知性も感じる。知的な歩き方。こいつはインテリだと思う。最低でもMARCH以上の大学は出ているにちがいない。いいとこのボンボンかもしれない。ヨーロッパのどこかへ留学した経験がありそう。羽の毛並みもきれい。若くして年収600万は稼いでいそうだ。モテそう。おモテになられますよね〜と変な敬語で話しかけたくなる。すでに所帯を持っているかもしれない。歩き方ひとつで、だいたいわかります。たぶん東京の、文京区で育ったカラス。個人情報ダダ漏れです。「個人」じゃないか。個烏情報。

 

 

***

 

 

祖母が、又吉直樹さんの『東京百景』を読んだ感想を、数日前につたえてくれました。「かわいいひとよね」とのことでした。「じぶんの野暮ったさとか、すごくよくわかってるのね、それをおもしろくするのは賢いわね」という話も。読んでよかったそうです。わたしは読んでいません。

 

そこそこトシのいった成人男性に対して容姿関係なく「かわいい」ということばを当てはめる80代女性って、そういないような気がします。いるかな。おっさんに「かわいい」っていう感性。すごく若々しいことばの使い方のような気がする。

 

わたしはかわいい主義者なので、おっさんであろうがなんでも「かわいい」と言ってしまいます。一時期の女子高生みたいに。プリティ感覚で生きています。でも、うかつに「かわいい」なんて言ったら殺されそうだよなあ……と思う殺気をまとったひともたまにいて、しかしそういう人物にほど命がけの覚悟で「かわいい」と言ってみたくなる自殺願望もあります。

 

単純なほめことばではなく、「かわいい」には攻撃的な匂いも感じる。機先を制すような。形容と同時に要請でもあるのかもしれない。わたしの前ではそのように、かわいくあってください。「かわいい」なんて言われた日には、うかうか立ちションしたり痰を吐いたり、いきなり頭突きを食らわせたり、できないじゃないか。しないけど……。

 

「かわいい」だけではなく、形容のことばはすべて、じぶんから見てそうであると同時に、他人にそうあってほしいという願望や要請を吐露しているのかもしれない。完全に客観的な形容なんてない。なんでも「かわいい」とよく思うわたしは、世界がかわいくあってほしいと願っている。そんな、他人から期待されるかすかな口の端の機微に、ひどく敏感なひともいるから、気をつけておくことも忘れたくはない。わたし自身が敏感であったりもするし。

 

あと「かわいい」は、ひとを小馬鹿にしているような暴力性もちょっぴりある。「かわいい」を唱えると、心に余裕ができるのです。言ってやったぜ!みたいな。じっさい言わずに、思うだけでもいい。前にも似たようなことすこし書いたかなー。「かわいい」は「好き」にちかいけれど、ちがう複雑さがあります。「好き」もわたしとっては複雑です。ややこしい人間です。

 

どちらも攻撃的で支配的で、しあわせな、ことば。